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悪口が言えなくて生きづらい話~HSPを自認した女のつぶやき~

 

 

HSP」という言葉を知っていますか?

ハイリーセンシティブパーソンの略で、「繊細すぎる人」という意味を持ちます。

特徴は

深く処理する

過剰に刺激を受けやすい

全体的に感情の反応が強く、特に共感力が高い

ささいな刺激を察知する

といわれています。

HSPは病気ではなくその人が持つ心の性質です。だから誰かが診断するものではなく、物事の感じ方も人それぞれだということを心に留めていただきたいです。

こちらに詳しい内容が載っているのでよろしければ見てください。

HSPの特徴を理解して、より自分らしく生きていく – Prius Shota

 

ここでは最近HSPを知って、多少の生きやすさを得た20代の女が生活の中でどうして?と思ったことを記します。これを見たあなたの世界が少しでも広がることを祈ります。

 

 

 

 

 

 

悪口が言えなくて生きづらい話

タイトル通り。私が特に「あ〜〜HSPしんど〜〜」と感じる瞬間が誰かの悪口を聞いたときです。その対象は私の友達、友達の友達、友達の友達の友達、友達の友達の友達の(ry、多分いちばん遠いところで言うならば外国だと思う。国レベルの悪口って何?それについては後ほど詳しくお話します。

とにかく誰かが悪口を言っている場面に直面したとき、私はものすごく胸が苦しくて虚しい気持ちになります。悪口を楽しめる人がいることは理解しているし、悪口撲滅セヨ!!とは思わないけど、できれば精神衛生上悪口に接しない世界線で生きていたい。もちろん「お金を返してくれない」とか「心無いことを言われて辛かった」のようなその人に完全に非がある場合はノーカウントです。線引きが難しいけど。

 

 

具体例をひとつ。アルバイト先の学生飲み会での出来事。

私のアルバイト先には口調が強いけどとても仕事が出来るパートさんがいました。パートアルバイトに関係なく、改善すべき点を見つけたらズバッと指摘する口のたつ方でした。特にアルバイトは大人と比べて視野が狭く、至らない点が多いのでそのパートさんに注意されることが多々ありました。もちろん新人の頃は私も随分ご指導を受けたものです。

ある学生が「あの人怖くね?うざいんだけど」とひとこと。それを皮切りに注意を受けた学生たちの"うざい"エピソード合戦が始まりました。中には怖い指導とは全く関係のない、その方の容姿や体質で中傷するような発言もありました。前述の通り、私は悪口が苦手です。言われた人のことを思って胸が痛くなります。確かに指摘されたときはグサッときたり、「そんなキツく言わなくても他に言い方あるでしょ」と思ったりしたこともありましたが…。その方の指摘は最もなことばかりなので、それを"うざい"で片付けるのは言葉が足りないと思って聞いていました。

 

そんな話で盛り上がってしばらくしてから。何かの話の流れである学生が私にこう言いました。

「〇〇って八方美人でしょ」

八方美人っていい意味ではないよな?心をザワつかせつつ、尋ねます。

「そう見えます?」

「うん、全然人の悪口言わないしみんなにいい顔してるから」

「そうですかねぇ」

「そういうノリあんまないし」

私はこの学生と比較的仲が良く、今も悪いイメージは抱いていません。お酒が入ってつい口走ってしまったのかもしれない。でも衝撃的だった"八方美人"のレッテル。What is 悪口を言うノリ?必要?

きっとこの人は悪口を言わない人はいない、言わない人は黒い感情を隠しているだけだと思っているのでしょう。「ああ、悪口が言えないことを否定的に捉える人もいるんだな」「悪口が言えないし悪く思いもしない私は頑張っていい子ぶってるだけなのかな」「そりゃそんな人いたら面白くないに違いないわ」「え、自分つまんな、無理」

 

HSPをまだ知らなかった当時の私は、いつも疲れる多人数の飲み会の中でもダントツに疲弊して、自分の性格に疑問を持ち、苦しいことを承知之助で自分の生き方を見つめ直し、黒い感情が渦巻くあの雰囲気を引きずり、悪口で盛り上がられたあのパートさんの心中を本人が聞いていないのにお察しし、混み合う電車に息苦しさを感じていました。

ちなみにこれら全てHSPの性質に近いものがあると思います。HSPってこんな感じです。必要以上に感覚が鋭いし、無駄に考え込んでしまう。正直生きていて面倒くさい。

 

 

 

 

 

 

理解できなくても否定しない話

人は自分が分からない感情や行動に出会ったとき、どんな反応を示すのだろう。おそらく無意識のうちに自分と照らし合わせて、自分では考えられないからと否定しているのではと思います。

私はHSPとは関係のない一種のマイノリティを持っていることもあって、理解されなかったり否定されたりすることは今までたくさんありました。オタクであるが故か、好きな人やものを目の前で「どこがいいのか分からない」「私は好きじゃない」と言われたこともあります。あなたの好みは聞いてないからとりあえず黙ろうか。好きな人を否定されることほど寂しいことは無いので。

もちろん知らず知らずのうちに誰かを否定して傷つけていたかもしれない。それを考え出すと記憶から自分の言動を引っ張り出して数年越しの1人反省会が始まるので今は置いといて。関係者各位、その節はすみませんでした。

これからは誰かにそんな思いをさせないように、些細なことで心が揺れる自分の見本になれるような自分であるために、理解ができなくても否定はしない自分でいたいなと思っています。推しにガチ恋な人もいれば、推しを孫のように大きな愛で包み込む人もいるし、推し以外はミジンコだと思っている人もいるかもしれない。かくいう私は推しに限って許容範囲外な一面を見つけてしまう変態です。

人を傷つけない思考なら自分の理解の範疇を超えていても否定してはいけないと思う。自分が例えその人と真逆でも、その考えや行動はまさに目の前に現実に存在するので、有り得ない、無理と切り捨てる暴挙には出ない生き方がしたいものです。私はまめにこのブログを見返して自分の生き方を反省するように。

 

 

 

 

 

 

 

 

「自衛≠否定」HSPと向き合う話

否定されることほど寂しいことはない。じゃあ、自分にはない考え方でもとりあえず知るために耳を傾けてみよう。知ることで世界が広がる=大人になれる!ビバ多様性!

そんなポジティブシンキングウハウハな私がつい最近壁にぶち当たりました。数ヶ月ぶりに会った身内との会話。内容は政治についての会話から派生した、宗教、精神疾患、世界情勢のことでした。詳細は割愛しますが、当事者を有り得ないおかしい関わっちゃダメだと否定するようなニュアンスでした。

HSPのことを話して、私が悪意を持たれている方に感情移入してしまうことを理解してくれている家族が「今はその話はやめよう」と制止してくれたけど、「知見を得ることがあるかもしれない」と続きを促してしまいました。……正直、目の前がグラグラ揺れて喉を握りつぶされるような今までにない不快感。某国との確執は把握しているし日本にとって不条理だと思っているけど、そんなことを言ったら某国が可哀想。いい人もいるはずだからそんな責めないで、と国を対象に心を痛める始末。お世辞にも多方面に配慮した話とは言えない、偏った持論を展開されて、私はそれ以降その人が家を離れるまで挨拶程度の希薄な関わりを維持しました。もうあんな話は聞きたくない、無理だ、と。

一方で、自分に大きな失望も感じました。身内を受け入れられなかったことのショック、理解できなくても否定しないことがポリシーではなかったのか。一応全て聞いたけど「お願いやめて、そんな考えおかしい、偏ってる聞きたくない」なんて。これで他人に受容を求めるのは傲慢極まりない。

 

でも、立ち止まって。

HSPとは繊細すぎる人。故にストレスも人一倍感じやすく疲れやすい。それを考えたら、私が掲げた「理解できなくても否定しない」は時と場合を選ぶ目標なんだと感じました。地雷が多くてそのたび手負いになる困ったハートのためには、地雷を無理に受け入れず避けることが大切。否定することと避けることを別物と思って自衛することは生きやすさにつながる、とようやく気づきました。これが私の生き方だと思う。

私はHSPとマイノリティで生きづらさを感じているけど、もしかしたら毎日ともに暮らしているあの人も最近会えていないあの人も苦手であまり話していないあの人も生きづらさ、共感をされない何かを持って生きているのかもしれないなぁ。人には人のマイノリティ。今思えばあのCMすごく深いなぁ。人には人の乳酸菌。

 

他人の考え方を自分の枠にねじ込んで多様性を否定する風潮が薄れていく世界になることを願います。

 

 

 

読んでいただきありがとうございました。